院長のひとりごと。

月曜日, 8月 21, 2006

戦争について考える。③

本当なら2回で終了させる予定だったが、長くなったのでいったんやめていた続きを書きたい。

③靖国神社論争

やはり、最近の話題の中心である靖国神社についても一言述べたい。
今年の終戦記念日、小泉首相が靖国神社を公式参拝。それに対する中国・韓国のメディアはやはり批判の多い論調であったが、数年前のような大規模なデモはなく、9月に退陣を控えているし、次期首相には期待したいといった方向性の論調も多かった。

まず私の意見から言うと、私は首相の靖国神社参拝にはNOと言いたい。
小泉首相は彼なりの主張で異論を唱えたが、あんなのは屁理屈に過ぎない。

ここで理由を述べると、
まず先にも挙げたとおり、一国の首相は国益重視であること。そのためには「私」を捨てるのは当然。
「心の問題だ。」それは小泉純一郎個人の心の問題であって、日本人全員の心の問題ではない。
「内政干渉だ。」これはあながち間違っていないし、中国・韓国が靖国問題を外交カードの一つとして対日政策を優位に進める気風が強いのは確かだ。しかしそれにしても「仁(思いやり)」のない行為だと思う。

次に、「昭和天皇のメモ」についての評価が上げられる。
あらかじめ言っておくが、私は右派でもなければ左派でもない。
しかしこのメモは靖国神社を語る意味でも外すことはできない。
何も「天皇は絶対だから、その天皇がだめと言うものはだめ」という簡単な論理ではない。
このメモは「昭和天皇の言葉」だからこそ意味のあるものだと思う。

昭和天皇は先の戦争に深く関与した人物であることは周知の事実である。また終戦後も天皇として在位し続け、人間宣言するなど今までの天皇家の歴史から180度方向転換した変革期の天皇である。
その天皇の戦争感とはどういうものだったのだろうか。おそらく自分自身も戦犯になることは覚悟していただろうと思う。もしくは天皇家の断絶も考えただろう。しかし自分は戦犯ではなく戦後も飄々と生き続けることになろうと思っていただろうか?
常人なら罪の意識は拭い去れないと思う。殺人犯も時効成立するまでの逃亡生活は罪の意識に苛まれるという。同じことは昭和天皇にもあったと思う。「あのときの出来事がなければ」「あいつさえいなければ」「あの時止めておけば」と深く考えたに違いない。
そのような先の戦争の1番の研究者とも思える昭和天皇が、名指しで合祀に不快感を示したのである。 これは捨て置けないであろう。

最後に「英霊を祀る」というのが引っかかりはしないだろうか?
確かに国のために殉じたということに対して私は哀悼の念を持っている。しかしそれだけではなく、東京大空襲や広島・長崎の原爆、そのほかの場所で死んでいった民間人に対してはどう考えればよいのか?
こちら(民間人)も軍人と同様に平和のために殉じた人たちだと思う。
どちらかのみに哀悼の念を表するのではなく、両者ともに哀悼の念を評するのが1番良いと思う。
そのためには「全国戦没者慰霊祭」なるものも行われているのだし、それにのみ首相が出席するという方が効率的ではないか?

④これからの日本

対外的なことも含めてこれからの日本についても考えたい。

これからのアジアについてはやはり中国がリードしていくだろう。世界一の人口を誇る国の方が生産や消費の面でリードするのは当然のことであろう。
そこで日本がどう絡んでいくのかということになる。日本にはすばらしい技術力がある。それを基に最新技術のみを追求していくのも面白い。

余談になったが、いずれにしてもアジアの国々との関係はよりいっそう大事になってくる。そんな中、靖国だの謝罪だの感情的な話し合いにならず、未来を見据えた話し合いができるようになればと思う。
実際日本が謝罪として行っている国レベルでの中国への無償投資などは中国国内では話題にもなっていないとのこと。やはりお金だけではなく、皆が真摯な態度をとるというのも重要ではなかろうか?