院長のひとりごと。

火曜日, 8月 15, 2006

戦争について考える。②

ここに述べることはあくまで現時点での「私見」である。ご意見はお受けしますが、言論の自由として許してください。

① 先の戦争はなんだったのか?

先の戦争といっても、韓国側は「韓国併合から終戦まで」、中国側からすると「満州事変から終戦まで」をさすと思うが、ここでは日本が固有の領土外で起こした戦いとして「日清戦争から終戦まで」と多少範囲を広げて考える。まず侵略戦争か、それとも自衛の戦争かという論議があるが、これは明らかに「侵略戦争」といわざるを得ない。

誰がなんと言っても、利己のため他を害するのは「侵略」だからである。

よく「戦争はイデオロギーのぶつかり合い」というが、この戦争において領土の拡大や大陸への影響力の拡大を狙ったのは富国強兵のためであったと私は考える。とくに太平洋戦争開戦前まではその色が濃い。

このことを考えるためにはさらに幕末の話まで遡らなければならない。

元来、鎖国状態にあった日本は攘夷論が盛んであった。欧米の諸外国は近代兵器を武器にアジアの国々を続々と植民地化していたからである。しかし攘夷論の急先鋒であった薩長両藩がいざ薩英戦争や下関戦争で諸外国と戦うとやはり圧倒的に不利であるということに気付かされ、世論は「開国」に向かっていく。開国による近代化と富国強兵により欧米諸国と対等に渡り合おうとしたのである(もしくは大攘夷論のような考え)。
しかし欧米諸国と同じで自国のみでは富国強兵を支えきれず領土を拡大せざるを得なかった。

確かにここまで考えると「欧米諸国の植民地政策と変わりないのではないか」とか「諸外国から日本を守るための軍事的戦略の一環(本国防衛ライン)としてではないか」などの意見も出てくるが、どちらも私からすれば後付の正当化するための理論でしかない。まず「他がやっているから自分もやる」というのは子供の論理だ。これを認めればこの世は秩序のない世界になる。「他の人もやっているから殺人を犯す、他の人もやっているから盗みを働く」と同義である。「当時は不況も重なって日本一国だけでは国民や日本経済を養ってはいけなかったんだ。」と訴える人もいるだろう。これもまた子供の論理だとおもう。「貧乏だから人を殺して金品を盗みました。」これが強盗殺人の言い訳になるだろうか。
また軍事的戦略については私は軍事評論家でもないので評価しづらいところはあるが、他国が開国以降、日本侵略を目的にしたという事実はなく、また幕末に結ばれた不平等条約も日清戦争以前に解消されつつあった。つまり「富国強兵をしながら他を害さず、諸外国と付き合うという手もあったのではないか?」という可能性は残る。現に第1次世界大戦後世界各国で軍縮が叫ばれていたにもかかわらず、それに軍部は反発している。これは利己のために他ならない。

②戦争責任はどこにあるのか?

戦争責任は日本軍の軍部の指導者にあると考える。
やはりこの戦争は一部の軍部の暴走としか言いようがない。

A級戦犯として死刑となった7人のうちにたった一人だけ官僚出身者がいる。広田弘毅元首相だ。
城山三郎著「落日燃ゆ」は彼の生涯の苦悩を書いた傑作である。
その中で彼は「優柔不断で臆病な人間」として描かれている。
一つの小説のみを鵜呑みにしてはいけないので、彼のA級戦犯としての罪状を軽く述べるが「軍部の行動を黙認し、軍部大臣現役武官制を復活させ軍部の暴走を加速させたため」とされる。
確かに事実だけ見ると十分戦争に加担したともいえるが、時代背景を考えると致し方ない部分もある。それは彼が首相になる前に2・26事件が起きていることである。「尊皇討奸」を訴え、軍部になびかない首相などを「奸臣」として殺害も辞さないという陸軍皇道派は、2・26事件以降衰退していくが、そうとはいえやはり「首相になる=標的になる」という可能性はいまだ十分残っていた。「一国の首相は国益のためなら死をも辞さない。」これは理想論だが、人間誰しも命は惜しいものである。広田の場合、最後まで首相を拒んだりしていたのはこのためかと考えられる。しかしそれも組閣大命という天皇の絶対命令で態度を軟化せざるを得なかった。つまりは彼も被害者なのである。
「一国の首相の無責任が罪になりうる」この理論で彼は刑に処せられたが、この考えを是とするなら昭和天皇も責任論を考えなければならない。私は右でも左でもないが、天皇は言葉は悪いが「傀儡」であったと考える。誤った情報しか伝えられなければどんなに優れた人物の眼も曇ってしまう。

もちろん軍部の指導者が悪いと言い切るのは簡単だ。しかしここではもっと深く掘り下げてみたい。
軍の指導者の人間性そのものが悪かったのか?
いや違う。彼らの思想が悪かったのである。いわゆる軍国主義である。

今回私は軍国主義はどこから来たのかを徹底的に考え、そして調べた。
そして結論に至った。

もともとは「神道」や「武士(道)」から来たのではないか?

武力を持って他を制するのは太古の時代から行われていることであり、最も武力のあるものがその国の王になるのが他国では常識だった。この国でも古くは天皇家が最も武力のある一族であった。しかしその後、天皇家は長い平安時代などのためか「平和ボケ」してしまいその後は「傀儡」として歴史上に登場することが多くなった。天武天皇以来、直接武力を持ち政治の表舞台に立とうとしたのは後醍醐天皇ではなかろうか?(後白河法皇なども政治の中心に立とうとしたが、手足のように源平という武力を使っていたとはいえない)
つまり600~700年間、そのような人物は出なかったのである。その次に出てくるのは明治天皇であり、これも後醍醐代からみると500年後にあたる。
ここで一つ疑問が残る。他国では新しく国の実権を握ろうとするものは前の権力者を追放・殺害して自身が皇帝・王になるのが通例である。しかし日本ではそれが一度たりとも起こっていない。画策した人間はたくさんいると思うが、藤原家も源平も平将門も織田信長も徳川家もそれをなし得てない。
なぜか?それは戦前までの日本では「天皇家=神」であったのだ。誰も神に取って代わることは出来ない。恐れ多いことなのだ。
これが国家神道である。記紀により日本人はそういう考えが植えつけられている。それが400~500年続けば、確かに神に取って代わろうという気にはならない。
「神道→神皇正統記→国学→尊皇論→皇国史観」という論理の発展である。しかしこれだけでは「天皇を敬う」というだけであり、「他国へ侵攻する」という論理にはならない。
ここに加わってくるのが「武士道」である。いわゆる武士道は江戸時代以降に発生した考え方で「忠孝・質素・品格」を主とする考え方である。この基になっているのは幕府が進めた儒学、特に朱子学である。儒学はもともと中華思想という大変危険な論理を含んでいる。幕府はこの学問の「忠孝」を配下の武士たちに植えつけることで君主に逆らうことを防ごうと考えた。朱子学は儒学をさらに厳しくしたものであるため幕府もこれを認めた。また朱子学より分派した陽明学は、革命家に好まれる「致良知」という考え方も含む。
しかしこの学問が「国学」と結びついた時に「幕府も天皇の配下ではないか」「奸臣徳川」などの考えに発展した。それが尊皇論であり、尊皇論には日本版の中華思想(日本人は優れていて日本は神の国であるという論理)も若干含まれていた。折りしも時は幕末。前述したように欧米のアジア植民地化の危機もあり、攘夷論と合体し、「尊皇攘夷」が生まれそれが倒幕へのエネルギーになった。
それ以後日本は「藩閥政治→護憲運動→軍閥政治」と相対する考えが交互に出現する。
藩閥政治も軍閥政治もいわゆる独裁政治であり、なんら変るところはないと私は考える。
特に護憲運動以降は折りしも世界恐慌や関東大震災後の不況の時代ということもあり、それが国土拡大・排他的な軍閥政治にさらに拍車をかけた。
また江戸時代の「士農工商」制度の名残もあった。この中で「商人」は最下級に位置づけられている。それは当時の為政者である武家は儒家思想や武士道と照らし合わせ、「商人=利己的」「銭の亡者」として忌むべき存在と考えていたからであろう。この考えは現在になっても日本人の中に根強く残っている。欧米の資本主義からは考えられないであろう。その商人は巨万の富を得て次第に武家にとって変わろうとする。幕末には下級武士と商人の立場は完全に逆転していた。その後の「対藩閥(=武家)政治」とした護憲運動は「農工商」を中心とした世論であり、さらにそれを力でねじ伏せた軍閥政治は「武士道を貫こうとした人間=武家もどき」であった。

日本人は戦後、ナショナリズムというものを大っぴらに語ろうとしなかった。これは「ナショナリズム=軍国主義」と捉えていたからだと思う(もちろんGHQによってナショナリズムを排除されたともいえるが)。
しかし私は「ナショナリズム=軍国主義」とは思わない。排他的な思想を含まないナショナリズムもあるのではないか?「日本人でよかった」「日本はすばらしい国だ」という考えを平和・環境・文化などの観点から見ることはできないか?「自分たちはすばらしいから」という考えを押し売りではなく、他人に紹介することは出来ないだろうか?(もちろんどれも排他的な思想と紙一重だが)

町内会(自治会)を例に挙げてみよう。
その町内をより住みやすくするために個々の住民が努力する。自分の持つ知識や特技を無償で地域社会に還元する(有償でもいいが)。しかし個別の人が個々の家柄を捨てたわけではない。もちろん地域住民同士のトラブルもあるだろう。しかしただ相手を攻撃して取り除けばよいというわけではない。それでは取り除くことによるトラブルや同様の事件の再発は必ず起こる。
負のエネルギーは負の連鎖しか生まない。
ここで町内会が介入して仲介や折衷案を出せばよいのではないか?
騒音トラブルなら防音壁の設置、悪臭トラブルなら原因の除去を無償で行うなどもある。
これを国に当てはめれば、個々の国のナショナリズムと地域社会、すなわち地球全体の共存にならないか?
「悪いことをしたら、見知らぬおっちゃんにでも怒られる。」昔はよく見た光景だが、今はあまり見られない。
これは儒学の衰退によると思われる。儒学では中華思想という危険な思想を含んではいるが、「仁愛」というすばらしい考えも含んでいる。
「己の欲せざるところ人に施すことなかれ。」これが「仁」の根本であると孔子は述べている。
この言葉は私の座右の銘でもある。
仁愛から考えると忠孝も悪い思想ではない。しかし最近はこの考えがなくなったため、子が親を殺したりなど無秩序な社会になっているのではと私は考える。

長々と書いたが、あくまで「私見」である。
別に儒学じゃなくても良い。キリスト教でも良いが、生まれてくる子には「仁愛」を学んでほしい。