院長のひとりごと。

月曜日, 7月 14, 2008

椎名林檎を考察する。

まだまだ私の中では椎名林檎流行ってますよ。

最近、東京事変の曲も聞き返しているんですけど、ある意味、椎名林檎色が薄まっていて面白いね。

何かのインタビューで語ってたけど、「椎名林檎っていうキャラ、たとえば巻き舌で歌うとか、を捨てて歌ったほうがいいよってメンバーに言われた」らしい。

東京事変の曲はメンバーが作曲することで、本人も認めているけど、椎名林檎に作れない明るい曲調が中心でとても良い。

ただし椎名林檎のキャラが邪魔しているせいか、いまいちヒットしている感がないと感じるのは私だけでしょうか?

どうも椎名林檎の負のイメージがヒットの出ない要因だと私は考える。

以前も書いたが「椎名林檎=怨念系、18禁(水商売的)」というイメージが一般の人には強いらしい。
これは私の周りだけの話かと思っていたが、どうも全国共通の様らしい。(これに関しても本人がインタビューで語っている。)
また、「東京事変=椎名林檎」は一般人だけではなく、ファンだった私も持っていた感覚なので、自然「東京事変≒(ニアリーイコール)怨念系」ということを一般の人が思っているということになる。

また彼女には歌詞からわかるとおり「小難しい」、「暴力的」な部分があり、それ故、一部の熱狂的「信者」には歓迎されるものの、一般受けはしないのであろう。

しかしながら私は断言する。

「東京事変≠(ノットイコール)椎名林檎」であり、「椎名林檎≠(ノットイコール)怨念系」である。

なぜがなれば、上記の理由で東京事変では極力、椎名林檎は1ヴォーカルに徹しており、今までの彼女にはない曲調を多く歌っている。(それは彼女にとってもヴォーカルの能力のみをチャレンジすることもできるし歓迎しているのでは?)
つまりメンバー5人で「東京事変」なのであり、「椎名林檎with・・・」ではない。

また椎名林檎は曲調や歌詞こそ前述のように「暗い」、「小難しい」、「暴力的」、「18禁」というのは認めるが、彼女自身はいろいろなインタビューやメーキング映像でもわかるように「年齢相応のかわいい娘」であり、ただ人見知りで、恥ずかしがりで、音楽的にストイックなところがあるだけである。

ここで私が考える改善策としては

1.タイアップなどで一般的に曲を知られるようにする。

2.東京事変や椎名林檎が受け入れられにくい世代へのアピール。

3.TVへの露出の仕方を考える。

この3点であろう。

1はCM 等も順調にこなしており、また近々タイアップを入れるといいと思う。
2に関してはこのたびTOKIOに「雨傘」という楽曲を提供しており、一番遠い存在のジャニーズファンにも認知、興味をもたれる可能性がある。
ちなみにこの「雨傘」、椎名林檎的にはかなりアップテンポで、曲調も東京事変っぽいジャズフュージョンみたいな部分もあり、一般受けの期待大である。しかしながら長瀬君が高いキーを歌うのがすごくツラそう(笑)。
あとは3。どうしても音楽番組では静かで陰気なイメージがあるので、やはりHEY×3やうたばんでお笑いの人と絡んでかわいい部分を引き出してもらうとかかなぁ。

HPにも書いてあったけど「孤高の音楽家、椎名林檎」っていうのはやはり敷居が高くなってしまうので、アーティスティックな部分を残しながら、普段は「面白い」、「かわいい」というのが良いのでは?
宇多田ヒカルなんかもそれで十分成功していると思うし・・・。

(追加考察)
椎名林檎の歌詞には新宿付近の知名、情景が多く散りばめられているが、以前考えたことがあった。
それは2000年前後の彼女の生活の拠点は中野にあったのではと。

何故がなれば、歌詞を見ていくと罪と罰の「頬を刺す朝の山手通り」という部分がある。ここで注目すべきは、「朝の」という部分。ミュージシャンはおそらく一般人よりも夜型の生活をしていると考えられるので、帰宅が朝になってもおかしくない。またその後に「今日もまた足の踏み場は無い小部屋が孤独を甘やかす」とあり、山手通り近辺に自宅があったと考えられる。

また絶頂集に収められている光合成には「青梅を疾走している時間は憂鬱」という歌詞。この「青梅」とは東京都青梅市を指すのではなく、青梅街道を指していると考えられる。何故かというと、もちろん青梅市が地理的に遠いというのもあるが、新宿と彼女のつながりから見れば、新宿を基点とする青梅街道のほうが辻褄が合うからだ。

そこで「山手通り」と「青梅街道」の交差する場所を地図で調べたところ、そこは中野坂上(東京都中野区東中野近傍)だった。

以前はここまで調べて満足していた。しかし今回改めて調べてみるとその考察を支持する歌詞がたくさん出てきた。

まず闇に降る雨。「東西線はあたしを乗せても新宿で降ろしてくれなくて」。東西線は中野駅から高田馬場方面へ通じる。また、丸の内サディスティックは言わずと知れた丸の内線の歌だし、メロウの「橙色は止まらない 黄色を探して乗り込め」という部分は「橙色=中央線快速」、「黄色=総武線(中央線各駅停車)」と考えられ、中央線各駅が停車する東中野を考えればこれも辻褄が合う。

但し良く分からないものもある。やっつけ仕事の「銀座線終電何時?」という歌詞もある。銀座線は浅草-渋谷間の路線で、新宿とも中野とも関係が無い。しかし銀座線は溜池山王駅を通っており、当時東芝EMIの本社があったことを考えれば、自分以外のスタッフの話などから作ったとも考えられる。また中野から溜池山王への道筋を考えると、丸の内線中野坂上から赤坂見附で乗り換えて、銀座線溜池山王駅を利用したとも考えられる(ちなみに溜池山王駅は丸の内線国会議事堂前駅とも繋がっているため、丸の内線一本で行くことも出来る)。

そこでGoogleで「椎名林檎 東中野」で検索すると、やはり当時周辺に住んでいたとの情報がちらほら出てきた。

意外と分かりやすくて面白い考察でした。

火曜日, 7月 08, 2008

椎名林檎。

突然ですが、私は椎名林檎ファンなんです。



ただのガールズポップとは違う、詩の世界観や曲調などすべてが好きなんです。



初めてであったのは深夜のテレビ番組だったと記憶しています。「歌舞伎町の女王」のCMを見て、その曲調に惚れ、またちょっとエッチな雰囲気も気になったんです。「歌舞伎町の女王って・・・ポッ」てな感じでした。

ただしその時は気になった程度で購入にまでは至っていませんでした。

その後、研修にて多摩方面で連直をしていた頃、「ここでキスして。」のスマッシュヒット。慣れない地ながらすぐに駅前のCDショップへ走り、その時発売していたシングル3作を同時購入。ちなみにその時同じくスマッシュヒットだったのBonnie Pinkの「heaven's kitchen」も購入しており、しばらくはこの2人の作品を追いかけていくこととなる。おかげで宿直も苦にならなかった。

そして私のファン心を決定的にしたのは、「無罪モラトリアム」。このアルバムで椎名林檎の詩の世界の深さや乙女心などを知り、さらにファンとなっていった。

そんなこんなで私が椎名林檎の曲で最も愛してやまない「ギブス」の発売へとつながっていく。
この中の「ギュッとしていてね、ダーリン。」という歌詞はどんな女の子でも可愛く歌えば男はイチコロだろうね、絶対。

椎名林檎は当時、その変った風貌や歌詞に旧仮名を使うなどの部分から「怨念系」だと思われて敬遠されていた。(?)少なくとも私の周りでは。それを否定すべく、周囲への布教活動にいそしんでいたのだが、徐々に彼女の曲の方向性も変わっていった。

歌詞から乙女心が消えていったのだ。それを人間の成長と思えば良いことなのかもしれないが、段々歌詞の旧仮名遣いのみが先行するようになり、意味不明になっていくのが目に見えるようであった。
また曲調もムード歌謡風になったり。そして彼女の妊娠、出産。一時休暇。


だんだん彼女への熱が冷めていった。


彼女の復帰後から最近にかけては、子供の世話や仕事のことなど個人的な事情で、椎名林檎・東京事変のCD、DVDを集めてはいるものの、ほぼdutyと化していた。

そんな中、「私と放電」、「私の発電」の発売。

一気に椎名林檎を愛してやまなかったあの頃に私を引き戻した。

ここ数日は寝ても覚めても椎名林檎。夜遅くまでPVを見たりして寝不足の毎日だ。
嬉しくも、恥ずかしくもあるのだが、夢にまで椎名林檎が出てきます。

これを機会に、今までのすべて集めたCD・DVDを再度見直して整理するつもりです。